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フェアウェイ (競走馬) : ウィキペディア日本語版
フェアウェイ (競走馬)

フェアウェイ'、1925年 - 1948年)はイギリス競走馬種牡馬。1920年代後半に活躍した。馬名フェアウェイは「航路」の意で、兄ファロスが灯台、母スカパフロウが港名だったことに由来している。そのほかの兄弟に1000ギニーに優勝したフェアアイル(全妹)がいる。タイムフォームによる20世紀世界の名馬200選では35位に格付けされている。1925年 - 1948年)はイギリス競走馬種牡馬。1920年代後半に活躍した。馬名フェアウェイは「航路」の意で、兄ファロスが灯台、母スカパフロウが港名だったことに由来している。そのほかの兄弟に1000ギニーに優勝したフェアアイル(全妹)がいる。タイムフォームによる20世紀世界の名馬200選では35位に格付けされている。
== 経歴 ==

=== 競走馬時代 ===
フェアウェイは祖父のポリメラスに似て、非常に胴長で神経質な馬であった。1927年5月に競走馬としてデビュー。デビュー戦では競走中にバランスを崩し6着に敗れたがその後7月にかけて3連勝した。同馬を晩成型と見ていたダービー伯爵の側近ジョージ・ラムトンの判断から、この年はそれ以上レースに出走することなくシーズンを終えた。この年ジョッキークラブが発表した2歳フリーハンデではハーミット、ブランドに並び、126ポンドという高い評価を得た。
1928年、当初は2000ギニーに出走するプランが立てられていたがレース前日になって口腔内に膿種があることが判明し、出走を断念。陣営は目標をダービーステークスに切り替えた。フェアウェイは5月に前哨戦のニューマーケットステークスを勝利し、翌6月のダービーステークスには本命で出走した。しかしコースに出て観客席を横切るパレードの最中、興奮した観客に取り囲まれ、馬体に触られ尻尾を引っ張られるなどしたフェアウェイは神経を高ぶらせて大量に発汗し、さらにスタートが遅延するアクシデントに見舞われてますます苛立ちを募らせた。レースではスタートで出遅れ、そのまま全く見せ場を作ることなく7着に敗れた。
この後しばらくフェアウェイはエプソムダービーのことを引きずり神経質になっていたが、バタース調教師の努力で少しずつ回復すると、7月のエクリプスステークスに挑んだ。このレースは名牝ブックロウなどが出走していたが、フェアウェイは2着馬に8馬身の着差をつけ優勝した。9月には最後のクラシックとなるセントレジャーステークスに出走。フランスから遠征して来たパリロイヤルを破って優勝し、最後のチャンスをものにしてクラシック優勝馬となった。その後10月にチャンピオンステークスに出走。アルゼンチン馬フォリエイションを下し優勝し、5戦4勝でこの年のシーズンを終えた。
1929年、4歳になったフェアウェイはさらに充実し、バーウェルステークス、ルース記念ステークス、プリンセスオブウェールズステークスと3連勝した。続くエクリプスステークスではロイヤルミンストレルに敗れたが、秋にはチャンピオンステークス連覇を果たし、ジョッキークラブカップにも3馬身差で勝った。ジョッキークラブカップに勝った直後、陣営はフェアウェイの長距離適性を計るためにバタースの管理馬でゴールドカップ優勝馬のボスワースと4000mにわたってマッチレースをさせた。その結果フェアウェイが勝利し、適性ありと判断した陣営は翌1930年のゴールドカップを目指し激しい調教を課したが、フェアウェイは途中で屈腱炎を発症し競走馬を引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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